今市追分地蔵尊

今市追分地蔵尊

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   先日、日光市の例幣使街道についてのTV番組が放映された・・・・上空から見た撮影では、この街道筋と、会津西街道が交わり、三本の重要な道が日光に通じていることがよくわかった・・・

今市和泉地区で、ひまわりが見頃

毎年行われている和泉地域のひまわり畑・・ここの特徴は、ひまわりを自由に取れる場所・・皆に楽しんでもらいたいということで自由見学が行われています・・・ おまけに、ひまわりを切るハサミまで提供されているとは・・・

2018年08月12日

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・しかし地上からゆくと、この場所がなかなかわからない方も多いようである。 ちょっと今市の出口でわき見をすると大きな石の地蔵尊と建物があるので明るのだが・・・日光市今市には、日光街道と例幣使街道が、交差している本当に三角地形の道がある。  例えれば、一例として、海で言えば三角州のところに、大きな石の地蔵尊が、鎮座されているのだ。 ここを称して、今市の「追分け地蔵尊」と呼ばれているすばらしい仏像なのである。
この今市は、かっては、誰でも通過したが、最近は日光への高速道路が出来てしまったので少し様子が変わってきているが、この町中の姿は、少なくとも昔のまま残っているのである。 また、この地は、今市市内で、一端、杉並木が途絶える場所であるが、今市の入り口と出口で、杉並木が始まり遠く日光街道は、宇都宮市内まで、そして例幣使街道は、鹿沼市の近くまで、続いているのである。 今日は、そうした中で、この今市にある、追分け地蔵尊についての紹介である。 私もこの地域は何回も通過していて、この場所も知ってはいたのであるが、残念ながら車だったので、なかなか駐車が出来ず、ついつい見送っていたのである。 

今回はこの地域を目当てに来たのでゆっくりと鑑賞出来たのであり、本当にすばらしい「追分け地蔵尊」であることが、再認識されたのである。 実は、このすぐ前には、この地でも有名なソバ屋、やぶそばがあるのだ。 ここには、遠く宇都宮市内からも客が訪れる名店なのである。 今でさえも、昔風な形態を保ちながら、開いている店、今でも休日には沢山の人でにぎわっているのには、驚かされたのである。 もう一つ名所をと言われれば、それは、天然氷で有名な、氷店!・・・この天然の氷を使用して作られる、氷水である。 天然氷である故、なかなか溶け出さず、またその味は天下一品であるとのこと、ここでなくては、絶対に食せない名品の一つなのである。

 では、話がそれてしまったので、追分け地蔵尊の写真を見ていただこう。

今市追分地蔵尊

 この追分地蔵尊は、歴史話が沢山なる追分地蔵である。 しかもこの建物の中に鎮座されているが、この建物はコンクリートずく利でしかもいろいろな石が積んでできあがっているのだ・・・・多分これは、かなり前に出来たものだろうが、いかに大切に扱われていたかが証明されよう! 側に行って初めてわかるその偉大さである。というのは、北関東でも一、二を競う大きさの大仏像だとのこと・・・・本当にすばらしいのである。 ましてこの三角地に鎮座さて手いることが、この地位を築いたのであろう。 

どちらからきたにしてもこの地を訪れるように出来ていることが地形的にもすばらしいのである。 話によれば、この地蔵尊は、日光の含満ヶ淵から流れ着いたといわれているのである。 日光の含満ヶ淵と言えばあの有名な神橋の上流、大谷川南岸にたたずんでいる、化け地蔵の一群からの流出ということになる。 まことにすばらしい伝説であると思うのである。

 

 

今市追分地蔵尊周辺花花

今市市は、日光市になったが、この地蔵尊から日光に入る所に、この様な素晴らしい地蔵尊があるのだ。 この八月に入った頃は、秋の花々がだんだん咲き出し頃であり、もう直ぐ、立秋を迎える時でもある・・・・ほとんどの田畑では米の花が咲き終わり実が付いてきて穂がうなだれ始めている時期でもあった。 今年も豊作であるとのこと、この地蔵尊も見ていてくれることであろう。

地蔵尊と千羽鶴

この地蔵尊の周囲には沢山の千羽鶴が掛けられておりいかに多くの信者の方々がここを訪れているかが直ぐわかる。 このときには朝早くであったが、これから、皆が集まってくるのであろう・・・

小地蔵尊

私には、説明できないのだが、ここには沢山の子地蔵尊が祀られている・・・と言うことは、祈願かなった人たちが、これえらの地蔵尊を納めるのだろうと思われる・・・この日光地域には、東照宮裏側にもこうした神社があって、良い子が産まれると、将棋の大きな駒を納める伝統がある神社があるからである。

今市周辺の花

それにしても周辺は花々に染まり、特に黄色の花が綺麗であった・・・・この花はオオハンゴウ草と呼ばれており、帰化植物であるが、この時期には素晴らしく咲き乱れるのであう。 これによく似た花でキクイモもあるが、今回は見ることは出来なかった・・

追分地蔵尊

 さて、この地蔵、実名では、石造地蔵菩薩坐像と言われており、製作年代は不明とのことであるが、八代将軍吉宗が、日光参社に詣でたとき、すでにこの地に鎮座されていたとの文書があるそうです。 昔ある時、この地の石の名工が、大谷川の中に眠る安山岩石にのみを当て、削りだしたときに、何か地のような赤いものが出てきたので、これはただごとでないということで、その全体の安山岩石を掘り起こしてみると、なんとそれは、地蔵尊であったとのこと。 早速、村の衆を呼び寄せて今市の地に運んだところこの三角の道筋で急にこの地蔵動かなくなってしまったとのよし。 そこでここに安置したが、一度如来寺に移動したところ、この地蔵、毎日毎晩泣き出したとのこと・・・・そこで村の人は、この地蔵は日光の含満ヶ淵から流されてきた地蔵だからと言うので日光がよく見える今ある位置に安置したら、直ぐさま泣きやみ、この地が永遠の鎮座場所となったとのこと・・・・従ってそれ以前に、大谷川の洪水で日光から流されて来たという言い伝えがあり、現在に至っているとのこと・・・・なんと歴史的にすばらしい地蔵尊なのであろうか!

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