二荒神社とバンバ

二荒神社

   ★20191117:今年の10月の菊水祭は、神輿が通常一台のところ3台用意されるという・・・これは令和記念行事として行われる今回のみの記念行事ということです。 今回は須賀神社の神輿。 天皇即位にちなんだ神輿の組み合わせはその時その時で異なるという・・・・楽しみがまた増えたようです・・・・・・・・「神社一覧」 「花の神社仏閣」 「笠間稲荷」 「金運神社栃木

20180106: 今日は、大きなニュースがっ飛び込んできました。 二荒神社の社務所兼の二荒会館が、3月31日をもって閉館するそうです・・・今まで社務所と結婚式などを行ってきたこの会館も、歴史的な終演を迎えるということです。 駐車場も市の方に使用を申請しているということで、大きな二荒神社の改革となることでしょう・・この歴史的な建物は、閉鎖と鳴るので、今のうちに見ておかないとなくなってしまうのですね・・・実際二荒神社の裏山は、駐車場などはなく、坂の下の今ある駐車場の場所にも権現山と呼ばれる場所があったのです。 そうした場所も終戦後消え去り、またこの二荒会館もなくなるという歴史の転換は、時代の流れで仕方ないのでしょうか・・・結婚式も、72年には、年間415組だったのが、16年には、23組と減ってしまったと言うそうです。  残念というか、また宇都宮の歴史遺産がなくなってしまうのですね・・・

20180103: 県内初詣 にぎわう・・・12日宇都宮市の社寺は多くの初詣でにぎわい、今年の祈願を手を合わせた り、絵馬を書いたりして、1年 の幸せや健康を祈った。 ここ、 宇都宮中心部の二荒山神社では、元日に前年並みの約22万 人の人でと言われ多くの人でごった返した! また、続く、2日は夕方までに前年より 2万人多い約12万人が参拝したと言われます・・・。 境内は本殿へ向かって長い列が でき、おみくじも人気だったという・・・最近は、会社の人が黒い背広を着て参拝に来る姿が目立ちます。 中小企業の方なのでしょう・・・数十人単位でお参りに駆けつけている姿が多いようです・・・

 ☆20170630:二荒神社で無病息災を願う茅の輸くぐりが行われている。 茅の輪をくぐり、その後半年間の健康や厄よけを願う神事が行われる。 

 二荒神社は、宇都宮駅の真西の主道で 約バスで10分程度の場所にあります。 一番の繁華街にあったのですが、最近は駅東の発展などのため、やや控えめな昔の町となってしまいました。しかしこの神社が古いことは誰でも分かっているので、ここで初詣などをやることが恒例となっています。 前年の終わりの除夜の鐘の鳴る前から人が沢山集まり初詣に来るのです。 たいまつが参道にはたかれて昔風の情緒が味わえます・・・★「二荒神社紹介」★ご参考: ★人気の「旅の神社仏閣一覧」 「新年・一月からのお祭り特集」 「県内博物館一覧集

 

    沢山のおみくじがひかれて、老若男女の話題をまいていたようです。 おみくじの、供えるところもその神社とか場所によって異なるものだと知りました。 各その作法が決まっており、特徴があるからです・・・「宇都宮駅と餃子

みくじ売り場 みくじの納め場所

大きなみくじという文字に惹かれて人は、今年の運勢を調べて喜んだり考え込んだりしています・・・何か狛犬様も、沢山の人が来てそれを出迎えているようでした。 神社の東側は、赤門通りになっており民家の脇から少し眺めがありますが、浦の方に行くと駐車場があるのでここからならば県庁方面もよく見えています・・・駐車場も色々ありますが、神社の結婚式場の裏側の駐車場からは市内全貌を見渡すことが出来るのです。

 

境内で初詣を楽しむ人たち 狛犬

     神社の周辺の様子も、紹介しましょう・・・ここは神楽殿・・・「ふくわうち」という声が聞こえてくるのもこの神楽殿からです・・・新年があけると、不思議と直ぐにこの行事の時期になります。

 

魔除けの矢など 同じ境内の中においなりさんもあります

     今年も良い年になるよう皆願ったことでしょう・・・絵馬などもたくさんあり、魔除けの矢も色々そろっておりきれいです・・・

 

 

境内を見ています

     みくじの山のような納め場所は、かなり混雑していて場所がないほどです。 宇都宮駅から見ると、丁度ここがはじめの山の始まる場所です。ここから北に行くと八幡山の郊外に行くことが出来、この神社も裏側から県庁の法会と行く裏街道もあります・・・現在では、その裏街道は、権現山があったのですが、これがなくなり、駐車場となっています。

 

★二荒山神社とは: かつての下野国(現在の栃木県)のである二荒神に関係する神社である。

二荒山神社・二荒神社は、二荒神を祀って建立された神社、または二荒山神社を勧請して建立された神社である。延喜式によると、下野国河内郡には名神大社二荒山神社が鎮座していた。また六国史によると836年承和3年)に当時従五位上であった二荒神が正五位下を奉授(『続日本後紀』)しており、その後進階を重ね 869年(貞観11年)には正二位に達している(『日本三代実録』)。

かつて、「二荒」の語は「ニコウ」と音読され、「日光」の地名のもととなったが、それ以前は、『延喜式神名帳』の九条家本では「二荒山神社」に「フタラノ」と読みがながあてられていることなどから、「フタアラ」または「フタラ」と読まれていた、とされる[1]。また、奈良時代に勝道が男体山に登頂して「日光山」を開くより前の男体山の呼び名について・・・出典・・wikipedia

 

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