宇都宮市の大仏様 

大豆三粒の金仏

 宇都宮市の中に大仏様が鎮座しておられると聞いて、分かる人は多分少ないと思います。 しかし、そうした大仏が、お寺にあるのです。 実際、自分でも昔親に連れられて、大工町の方にバスで買い物に行ったことを思い出すのです・・・すると、ある時、思いもよらない大きな大仏様が、道から見えたのです。 これを、数年に一度でしょうか・・・思い出しては、あれは何処だったのだろうと、思い出すのが常だったのです。 当時は、大豆三粒の金仏 というようなことは全く知らず、寺にあるお参り用の大仏だろうと思っていたのですが子供心に考えてみると、かなり意外なものがあの近く・・・田川の近くにあるということだけが、脳裏をかすめたのです。

そして、最近知りましたが、’地下に納めた。「御室観音」’も有るということです。 ホロ起こした人の目が潰れたとか?? いろいろな歴史と秘話を持つ由緒あるお寺なのです・・・


 

征夷大将軍の坂上田村麻呂が守護仏を奉納したことが開基とされている善願寺。下野三十三観音札所巡りの第17番札所となつており、県内の人が多く訪れる。
御朱印には、田村麻呂が安置した如意輪観音像の印が押されている。


仁和寺の法親王が源平の乱から逃れて寺に隠れ住んだ際、池の中から見つけた1日像を石櫃に入れ、地下に納めた。「御室観音」と呼ばれるようになり、安産や子どもの成長を願ろ人に信仰されている。

「観音像を見ると目がつぶれる」。 かって観音像を掘り起こそうと試みた人の目が潰れたことから言い伝えられるようになり、地上に御堂が建てられ秘仏となっている。
寺には宇都宮の民話で大豆3粒の寄進から建立された大仏」と伝わる銅造盧舎那佛坐像も鎮座する。 高さ約3、6mの小ぶりで親しみやすい大きさと慈愛に満ちた顔つきは、国籍を問わず人の心を引きつける。
特に在日中国人が定期的に参拝す姿が見られるという…
寺は、街の歴史とともに守り継がれ得た場所。ふらっと立ち寄ってむらいたい、心を休めてもらいたい」
り継がれてきた場所。ふらっ
と立ち寄ってもらい、心を休
めてもらいたい」と加藤祥圭住職(64)。街が様変わりしても、寺は街の人のよりどころであることに変わりないだろう。
下野新聞より 20190505



★写真説明「下の写真をよく見ると、周辺は、大きなビルとか、建物でかなり囲われているのがわかります・・・昔は、こんな建物はなかったのでもっと広い場所にあったようなきがするのですが、これも時代の経過ということなのでしょう・・・・今も変わらず宇都宮を見守ってくれているのでしょう・・・」

宇都宮市にある善願寺の仏像

良く宇都宮駅の近くにこの大仏があるということを聞いたのですが、この場所は、意外とわかりにくい場所です。 宇都宮市に住んでいても、わかりにくい場所と言えます。 また、近くの多と落ちを通行しても、この大仏の顔は見えないのです・・・

一般的には、石井街道筋を通過してから、田川をわたり、押切橋を通過してすぐに左に曲がったあたりと言った感じが、この大仏様のあるて寺だったような気がしていました。 しかし、この周辺は、押切橋と呼ばれており、昔から水が出た皮でした・・・・結構なくなった方々も多いのです。 そして、この田川から出た水は、二荒神社の下の、当時のマス金の前までも水が氾濫した川でした・・・・そう思うと、この寺の大仏様は、半分以上水に浸かっていたといえるのです。 驚くべきことです。 

また、この押切橋は、昔は、水門が大きく広がり、独特の風景が広がっていたのですが、それも今は撤去されてしまいました・・・しかしこの大仏様だけは、今も健在なのです。 歴史的には、素晴らしいものと言えるもののようです・・・歴史的な建造物ですね・・・

宇都宮市内にある大仏

 これは、享保20年(1735年)につくられた善願寺にある高さ3.6mの青胴の仏像なのです。

 私がまだ幼少の頃、二度か三度ぐらいこの近くににつれてこられたことを思い出します。 そして、何か変わったものがあるという感じが細書したのです! あのころは、当然戦争当時のことで、この大仏の歴史のも書いてあるように、献納と言うことでかなりの金属類は戦争のためなくなってしまったのでした。 しかし今にして思えば、この大仏様が残っていると言うことは宇都宮市いや栃木県にとっても大変意義深い者と思います。 

宇都宮市に住んでいても、どちらかというと駅からやや離れた辺鄙な細い道のところなので、この大仏知る人は少ないのでしょう・・・・ 

また周辺のコンクリートの建物などが邪魔をして視界を遮っているため遠くからはなかなか発見されることがないのかも知れません・・・。 

善願寺(ぜんがんじ)は、栃木県宇都宮市南大通り一丁目にある天台宗の寺院。 山号は福寿海山。本尊は如意輪観音・・・

 と紹介されており、歴史的には、興味深いお話がつきまといます・・・「この仏像の建立のお金を工面するのに旅の途中に偶然得た「3粒の大豆」をもとに栽培を繰り返して増やしたといわれており、貯蓄の大仏様として崇められているのです・・・。 

現在も下野三十三観音霊場の第十七番札所となっている


 

wikipediaによれば・・・

銅造盧舎那仏坐像は宇都宮市の指定文化財である。1735年享保20年)に善願寺を中興した第12世の栄鈷上人の発願によって建立された。像の高さは3.6メートル、台座の高さは1.6メートル。善願寺の盧遮那仏法界定印を結んでいるが、釈迦を盧遮那仏と考える立場で造られた。10枚の蓮弁のうち5枚に次の銘が陰刻されている。

由来は1720年享保5年)と翌年に江戸の火事が起こり、栄鈷和尚が大仏を造る発願をした。資金が不足して困っていた時、善願寺に行脚僧の円淳が訪れた。栄鈷和尚が円淳に願いを打ち明けて相談すると円淳は3粒の大豆を取り出して「これを境内に蒔いて実った大豆を多くの人に分けて増やしてゆけば、やがて資金が得られるだろう」と教えて喜捨した。栄鈷和尚と弟子の貫栄はすぐに実行し10年後に大仏を造ることができた。


 

善願寺の大仏像


いずれにしても素晴らしい文化財であり、’大豆三粒の金仏’と呼ばれているそうです。
ここは昔は、田川が氾濫して、良く水が出たところですが、その直ぐ側にあります。丁度押し切り橋から南に一本目の石井街道沿いと言うことです。 おおかたの人はこんな所に・・・驚いたと言う事になるのでしょう。

歴史が説明されています・・・

ここは、善願寺と言って、歴史のあるお寺山です。 享保20年と書いてあるところから、1735年の作と言うことが分かります。  素晴らしい本堂の脇に鎮座しております。

ここを訪れるとわかりますが、周辺は、きれいに石が、整理されており、箒の目がついており、驚かされます・・・小さな大仏と言っても、毎日こうしたお参りが行われている寺なのだなと驚かされるのです・・・

掃き清められた庭

このように掃き清められた、町中のお寺様、皆に信仰されていました・・・横から見る姿を紹介してみましょう・・・

やはりかなり大きいことがお分かりいただけるでしょう・・・青空に映し出される大仏は、奈良のものとはちょっと変わった印象があります・・・戦前から続く大仏・・・宇都宮市は、ほとんど焼け野が原になってしまい残ったものはと言うと大谷石作りの建物が多かったのです。 松上峰の協会は大谷石の作りです・・・こうしてみると大谷石は耐火建築に向くものだと本当に再度驚きを感ずる次第です・・・

善願寺の大仏像 裏の姿

横からの姿もそれはそれは素晴らしい、かたちをしておられます。合掌・

以下に、この善願寺の全体の様子を紹介しておきましょう・・・

善願寺全景


 

この他に宇都宮市では、釈迦の骨が実際に納められている場所が、富士見ヶ丘の近くの山頂にあります。 この山は、水道山と呼ばれておりその丁度裏側です・・・興味がある方は、そちらも訪れて見る価値があります・・・「仏舎利塔」・・・と呼ばれております。 「仏舎利塔2


 

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