栃木蔵の湯 

とちぎ蔵の湯 

     栃木蔵の湯の聞いた時何処を思い出すでしょうか・・・・実は、蔵の湯で検索するとかなり全国的には多いことが分かります。 然しここで紹介するのは、栃木市にある蔵の湯です。別名大使の湯とも呼ばれています。  ★関連情報:「関東湯治場一覧集

★注意!!!      「今年2016年の乗用車道路修理中」・・・・ 注意事項・・・・:今年6月20日まで、道路修復のため大曲手間へは、通行できません・・・大平神社方面は、国学院の上の「太山寺」直ぐ上を右折して上る必要があります。 アジサイ坂手前から左の広い道は利用できませんので注意ください・・・ アジサイ坂は、通常どうり利用できます。 「参考地図

まあ、「とちぎ蔵の湯」と呼べば正しいのでしょう。 然し実際は、以前「 柏倉温泉 太子館 」と呼ばれていたのです。 なかな難しい名称でした! 以前数回訪れたことがありましたが、薄い黄色い色をした混濁温泉でした。 そして思い出すのが、この栃木倉の湯は、山の頂上に何か神社が祀られている温泉なのでした・・・・栃木倉の湯温泉自体よりも、この神社が遠くから眺められるのです。 静かな温泉、栃木倉の湯でした。 それが今では、栃木蔵の湯として宣伝されているわけです。 栃木市を訪れた方はお分かりでしょうが、この栃木倉の湯温泉は、どちらかと言うと秘湯です。 そしてこの温泉を見つけるのには、それなりに大変です。 
     

 

 道が、かなり農村の方へと誘われるからです。 栃木市内のバイパスからは、やや西の方角になります。 この「とちぎ蔵の湯:柏倉温泉 太子館」は、その道を確認することから始まります。 最も、葛生の住友セメントの南に細い道があるのですが、そこから峠を超えると、そちらから来る方々には非常に近く便利でしょう・・・・・ちょっとした峠ですが、ちゃんと車は走れますから大丈夫です・・・そして、そのまま走ると右側に大きな看板が出てきます。 そこを左折してまた田園地帯を走るのです。 悪い道では無いので安心して行くことができるでしょう・・・・往時とはかなりこのとちぎ蔵の湯温泉の姿が激変していました・・・・いわゆる新しく改変されて、近代化されていたのです。 正式には、「とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館」と呼ばれていますが、こうして歴史を振り返ると、栃木市周辺にはかなり沢山の秘湯めいた旅館ホテルがあることが分かります。 柏倉温泉という別名もありますがこれは柏倉地域ということです。 今では、とちぎ蔵の湯が、名称的には有名になってきているようです。

 

 

とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館

     栃木市から下の写真のような農道を走ると大きなとちぎ蔵の湯の看板が現れます。 ちょっと上の写真では、太子館とかいてあるので何だろうと思うかもしれませんが、今はきれいな真っ白の建物で蔵ができており素晴らしい景観の温泉になっています。 然し、この太子館の中に入ると昔の面影が偲ばれるのです。 ここは遠くからも見えるのですが、山の上に神社が祭ってあるのです。 後から上から見る周辺の鳥瞰図を紹介しますが、こんな場所になんでこれほどの神社と風呂、温泉があったのかと驚くばかりなのです・・・・ここのとちぎ蔵の湯温泉は、「 太子霊鉱泉の湧出地、栃木市柏倉字寺山一三六一番ノ一の山林中腹に湧出地がある、昔より獅子の、水呑み場として有名であった ・・・・)と紹介されているのです!

     佐野市内にも素晴らしい温泉が眠っています。 此の蔵のとちぎ蔵の湯も場所的には、かなり離れていますが、佐野市内の赤見という秘湯温泉があります。 清流の湧き出す名水の里の温泉です。 赤見温泉と称されて、温泉部落ができています。 「栃木県などの湯治場紹介」「栃木県の名産品案内」「佐野市内のその他の温泉地

     以前は、確か蔵の湯とは呼んではいなかったと思います。 これは栃木市が蔵の多い有名な街ですから、その名をとってつけたのだと思いますが、昔からの太子館という呼び名は、現在もそのまま残っています・・・・・この訪れたときには、もうあじさいが咲き出した頃だったのですが、とても爽快な気分でこの地を訪れることが出来ました。 道のりは殆ど変わってはいなかったのですが、この太子館の湯など周辺は、昔と比べて激変していました・・・・・

    では、この大使館(とちぎ蔵の湯)は、どういう歴史なのでしょうか・・・・「 当太子館は聖徳太子の末流を汲み、館主八代の祖大阿久仁左衛門源兵衛が享保二年太子堂を再建造立され、代々太子を尊信し依って太子館と名付けられた。  太子館は太子の夢知らせにより太子霊鉱泉として「ひもとき」御神徳阿良多加なる霊泉にて身を清め、先ず太子神社に祈りをこめ、其の後、諸々の宴会を盛大に執り行い心の鎮魂際を行った方々は身上安全開授福うたがいなしとして現在におよんでいる ・・・・」と紹介されています。 聖徳太子だったのです!

とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館入口にて

     ここが受付のあるフロントです。 ちょっと蔵とは言っても豪華な清潔感のある建物です。 いつも思うのですが、これは丁度善光寺とか倉敷の蔵の様式が入っているような素晴らしい感じの蔵です! ちょっとした田舎の方の温泉とは、異なりがっちりとした重厚な作りの温泉宿といえるでしょう・・・・これが、ここで紹介している、とちぎ蔵の湯なのです。

     白い蔵で出来た太子館の蔵の湯(とちぎ蔵の湯)の建物は、ほんとうに綺麗で美術館を思わせるような建物です。 きっと初めての方はこんな場所に、こんなにすごい温泉があるのかと驚くことでしょう・・・・これが栃木市のとちぎ蔵の湯の全貌なのです・・・・

とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館の建物

     もっと入口に近づいてみましょう・・・・こんなに綺麗に整備され手織り、折りもおり、丁度花の時期でした・・・・こういう所で温泉ざんまいができるのは素晴らしいことです・・・・とにかく静かな場所なのです。 きっと蝉が鳴く時期には蝉の音しか聞こえないくらい静かな周辺環境です。

     ここ、とちぎ蔵の湯は、周辺の風景自然が綺麗なのでその頃訪れるのが良いのでしょう・・・・田園風景に恵まれた地域であり本当に周辺何も無いのですが、この山並みが現れる場所からこのような高い場所に神社が設けられているのでしょう・・・・この山の反対側兄は葛生の地域が展開しているのですが、きっと初めての方は、そんな場所に来ているとはきっと予想だにできないことでしょう・・・・・もし葛生方面からこの温泉を目指すならば、住友セメントの工場の南側の細い道に入れば、この街道筋に比較的すんなりと到達することができるのです。 相沢トンネル周りを回ると、かなり遠回りとなること請け合いです・・・・・

とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館からお堂へ至る道

    とちぎ蔵の湯の太子館の神社への入口です・・・・ここは昔からこのままで変わっていないようです・・・・一度この温泉に来るとこの太子館の文字が目に残ります・・・・

     さすがに新しく建て替えられた蔵の湯の構成は素晴らしく、田園の中にしっかりとした真っ白の蔵があるのですからちょっと驚かされます・・・・・

とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館

本館の中には、こうしたプール状の水がはってあって情緒を醸し出していました・・・・・嘗ては、このようなものはなかったのでした!

     とちぎ蔵の湯の太子館の中はこうした構成で近代建築と昔の歴史遺産が残っており近代と古き良き日の合体文化施設とでも言えるでしょう・・・・そういう場所で温泉に浸れるのですから、この思いは格別なのです。 ちょっとやや赤茶色をした温泉でサラリとした感じの泉質でした。

とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館の部屋への廊下

     昔からある神社への山門とでもいいましょうか・・・・今でも大切に幕が掛けられて、昔を彷彿とさせてくれているのです。 ここは、大使の太文字が、家紋なのでしょう・・・

     花が咲き乱れている頃の周辺は特に温泉ばかりでなく綺麗です・・・・ここの温泉に行ったときには、この階段を上がり上から周辺の展望を楽しむことをお勧めいたします! とても見晴らしの良い場所です・・・・

     階段の一段一段の幅が狭いのでけっしてバリアーフリーとは言えませんが、気をつけて登るとよいでしょう・・・・こんなに高い場所から温泉施設の全貌が眺められるのです。 ちょっと考えられないような温泉です・・・・・

     拝殿は、昔からの朱塗りで塗られており一般の神社の作りとおな痔です。 遠くに見えるのが周辺の民家なのですが、栃木市とは家栃木市の方までは見ることは出来ません・・・・

     朱色の伝統的な照明の器具は、なんとも言えない感じが残っています。 そしてその刹那刹那に花が植えられておりよく手入れされているのです。 よく佐野市内でも伝統的な家では庭の片隅に登り口があって神社が祭ってあるのをよく見かけます。 それでもこのようにしっかりとした作りの神社は見たことがないのです。 やはり由緒ある地の伝統と文化遺産なのでしょう・・・・嘗て、戦争に出征する人たちの名が刻まれた絵看板みたいのを見たことがありましたが、今は、見つけられませんでした・・・今もあるのでしょうか・・・・というように昔からこの地でめばえた温泉、いや鉱泉の施設であることには誰も異論はない場所なのでしょう・・・・とちぎ蔵の湯柏倉温泉太子館

     ★ 参考 旧情報: ☆☆☆今年も恒例の紫陽花祭りが20130614-30日の間行われてます。 今年2013年の、大平山の紫陽花の満開時期は、「6月20日前後と予想」されています!「栃木県観光案内」「栃木そば街道」「栃木市内を見る

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