益子・陶芸の町を歩く

益子の陶芸の里歩く

益子は古い歴史と陶器の古里で満ちあふれている!

 

益子登り窯

  「2013年秋の陶器市のパンフレット」私が、益子を知ったのは、当然昔である! 益子アジサイ祭り

 

 古い々過去である・・・・何故その様な表現をするかは、実はそこには、訳があるからだ。 よく、この地では、写真の撮影会などが、全国から有名人が来て、頻繁に行われていたのだ そして、実はあの釜飯の釜で有名な、塚本の本店が、それらの催しには、利用されていたのである。 と言うのも今になって思えば、あの塚本の店の裏には、大きな製作所というか、仕事場があって、そこにはひげを生やした異様な感じの将来を嘱望された若者達が、沢山並んで、力量を争い乍ら、陶器の制作に励んでいたのである。 残念であるが、それらの姿は今は見ることが出来ないのである。 そして、皆(客)の要望に従って、ろくろを回してくれたり、顔をカメラに向けたりして、それは々、今思うに、大変協力的だったことを思い出すのである。当時の写真芸術は、かなりこの様な僻地で、良い写真が、撮られては、カメラ雑誌に紹介されていたように思うのである。 その様な分けで、今日は、その辺の歴史地を、是非忍んで見たいのである。 ☆☆☆ 「花散歩」  「梅の名所一覧」  ☆☆☆ 「花とドライブ情報一覧」  ☆☆☆「栃木観光情報


 
益子は、どの様に行くかは、調べて頂くことにして、益子駅周辺に着いたと仮定して、周辺の探索をしてみよう。 
先ず、駅の傍には、鹿島神社がある。 実はこの神社、紫陽花寺で有名な太平神社と殆ど共存しており、その時期には、ここから宮司さん達が、小さな御子を引き連れて、その神社でお祭りを執り行うのである。紫陽花は、沢山あって素晴らしい神社である。 この神社周辺が、嘗ての町の反映を促した中心地であるが、今は、少し東に移っているような気がするのである。 この周辺を歩けば、分かるが小さな窯元が、この周辺にも散在しており、これから訪れるであろう、陶器販売の中心地とは、また変わった雰囲気が感じられる処なのである。

 

 では、ここを通り、城内坂の方面に行ってみよう・・・・ここは、今では広い十字路が、出来ており昔の面影は、全くなくなってしまっているが、この十字路の左側に注目しよう・・・・・そう!、ここにはあの藍染め工場(いや、工房)が、今でも佇んで存在するのだ。 何か、豪華なかやぶき屋根の旧家の形を取ってはいるが、この地の美しい無形文化財の庵なのである。 ここは誰でも、自由に見学が出来るので、この工房を先ず見逃さないようにしよう。 藍染めの壺がそのまま地中にめり込んで、藍が沢山並んでおり、そこで作業をやっている姿が手に取るように見えてくる。本当に絵に描いたよう古里風景が展開しているのだ・・・・誠に圧巻見がえのある、情景である。 そして希望者には、ここで出来た藍染めの数々の展示品を、見たり購入することも出来るので、その様な興味が、有る方はここを覗くことをおわすれなく!

 

 さて、この城内坂を東の進めば、その両脇には沢山の窯元の商店が並んでいる・・・・品定めをやって、この店を全部見たとしたら、多分半日は掛かることだろう。 そして、この地を更に進むと、例の有名な、益子焼き窯元共販センターが左側に見えてくるのだ。 この地は、普通の日ならばバスも止まれるような大きな駐車場があるので、乗用車は、問題なく駐車することが出来るが、年に定期的に行われる展示販売の時期には、混雑するので遠くの駐車場に停めるのが、お奨めなのである。

 そして、この地を少し先に左カーブの道を暫く進むとその周辺は、道祖土上(さやど)地域となる。 この周辺は、古びた昔の面影が色濃く残された陶器店でいっぱいになる。 右に細い道路が出てくるので、これを右に曲がってみよう・・・・しばし周辺を見ながら約15分程度歩くと、そこには、大きな塚本陶芸の工場、そして、展示館などが見えてくる ここには、その他常設館、美術館などもあって、全部見た場合には多分一時間以上はかかるであろう。 陶芸品の購入は、現在では、買って直ぐ宅急便に乗せることが出来るので、簡単である。

 

 そして、この周辺の探索が、終わったら、道祖土下野道に向かおう。 この周辺は、この益子町のバイパスで、旧道主道でもあり、車の通りが激しいのである。十分注意して歩こう。 そして、この周辺には窯元もあるが、先に歩るって見てきた商店の新しい出店も、ここにあるので、展示品の違いなども観察すると、興味深くおもしろいのかも知れない。 ご承知のように、軽井沢で有名な峠の釜飯の釜はこの地で制作されているのである。 流石釜飯は有名なのでその釜の制作量も並大抵ではないのである。、

 そして有名な浜田の参考館を覗いてみよう・・・・ここをでは浜田の登り窯、作品が展示されており、往時のバーナードリーチ氏との交友関連資料も見て取れるのである。 この地は、益子の里の丁度北側を、占める観光地帯であり、この地を西に向かうと、益子役場に到着して、そこを左折すれば、最初に来た、益子駅周辺に到達することが出来るのである

 尚、益子の本当の古里風景は、塚本陶芸より南東方向になるが、これは車でなければ訪れることは、至難である。また最初の十字路を南に下れば、西明寺に至るので参考にしていただきたい。

周辺探索:

 益子西明寺、 益子周辺の田園地帯探索、 雨引き観音、 益子駅、 益子窯元共販センター、 帰り道の温泉一覧

名産品など一覧

探索概要図:

益子陶芸の里地図

 さて、今回の改訂で、有名な高館山の南にある、西明寺を追加しておいたが、この寺は必見である。 日本で唯一の笑う閻魔様が迎えてくれるのだ。 実はこのルートは、自動車でも走りながら楽しめる、山間の路であるが、途中数箇所ではあるが、開けた場所があって、遠く日光連山の見える、場所もあり、最終的には、地蔵院の方向へと行ける案内標識も出ているのである。 もしも、山道が慣れており、好きな方は、こちらを通過して宇都宮家の墓のほうへ、訪ねると言うのも、いのかもしれない こちらの地は、益子街中とは打って変わって、静かな田園地帯が展開されるが、田園地帯で昔は、タバコの栽培が多く行われていたのであるが、最近はあまりそれも見られなくなってしまった。 また、一方益子の森には、ちびっ子らの遊び場があって、天体観測などもできるし施設があるので、陶芸ばかりでなく、いろいろ楽しめるのであろう。

 上の地図で、右に地蔵院とあるが、これらは、益子のもう一つの歴史探索路となっており、これも見る価値がある。中でも、ここには、宇都宮家の墓があって、宇都宮城主の累代の墓なのである。 歴史によれば、三代城主の朝綱が、ここの地、地蔵院に隠棲して、ここを墓として以来、33代まで続き、県指定の文化財となっているそうです。 尚、地蔵院は、室町時代の作とされ、内部が円柱で出来ており、阿弥陀仏堂式の構成で、国指定重要文化財となっている。 その他三代城主の朝綱が、創建したと伝えられる、綱神社、大倉神社などもあって、これらも、国指定重要文化財なのである。

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