宇都宮市二荒山神社・初詣

二荒神社の紹介

 昔から宇都宮市内には、二荒山神社が町の中心地に鎮座されており、皆から二荒さんと、呼ばれて信心されている神社なのである。 呼び方は、「ふたら」と読むとか「ふたあら」と読むとかあるが、やはり「ふたあら」が、一般的です・・・先日、温水さんたちが、日光のパワースポットとして、帰りがけに、この神社を立ち寄ったのです。 そのときに歴史が紐解かれて、日光がふたら、そして宇都宮が、二あら、という説明がされました・・・(参考:日光二荒神社は、遼遠、愛情運、金運、健康運のご利益のある神社とされています。 この神社の酒樽が飾られている前から、世界遺産のめぐり旅のバス停があって、そこから#85としてJR/と東武バスが日光駅まで行けるコースをほぼ15分おきに出ているということです・・・これも割合知られていないようです・・・)

今から焼く1600年前に、ここは大通りをまたいで二つの山があり、北側の本田のあるほうが、臼が峯、そして、南側が、荒尾崎と呼ばれていたそうです・・・その二つの荒々しい山からふた荒さん、と呼ばれるようになったそうです! 下野の国一之宮ということで始まり、いつの間にか宇都宮と読みが変わったのが、正しいとされています。現在は、パルコの0西側に、下之宮があって、ここから参拝するのが正しいのだそうです・・・昔のバンバ通りです・・・昔から自分たちの明神様という感じで呼んでいたとのことです。 宇都宮の大明神様とよばれて、先ほどの宇都宮と呼ばれるようになるのです。

そして、年に二回、春と秋ですが、春渡祭、冬渡祭が行われます。どちらも小谷や、祭りと呼ばれて、毎年の行事です。 これは、荒尾崎から薄紙ねに御神体を移すお祭りで伝統的なみこしの出る祭りです・・・歴史は古く、西暦800年頃から行われている祭りということです・・・本殿をめがけて登ってゆくとその石の会談は、95段もあり、街中にこんなに大きな山があったのかと驚かされるばかりです・・・

つくりは、唐破風と呼ばれる伝統的な沿ったつくりです・・その門を入ると本田がおくに見えてきます。この宇都宮の二荒神社は、昔から、勝負運に強いといわれており、源頼朝や、徳川家康などの著名な武将たちが戦勝祝いでおまいりに来ているのです・・・戊辰戦争の時には、土方歳三もお参りに立ち寄ったといわれる有名な神社なのです。一番前に見える神社のつくりは、仮殿と称されています。本殿は一番奥にあります。 大火の後明治10年に作ったものが現在も戦災を逃れて残っているのです。

本殿には、勾欄擬宝珠こうらんぎぼし)が4つあります。 将軍職を子の秀忠に譲り大御所と呼ばれた。大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、江戸幕府 の基礎を確立した。家康は関が原の勝利を祝って、荒れ果てていた二荒山神社を復興し 神領を寄進しているのです。 この神社の社務所には、その他、天明鋳物の三十八間星兜(南北戦争のときのもの)、とか、変わったものでは鉄で出来た狛犬なども保管展示されています。

さて、勾欄擬宝珠ですが、中に入れないのですが、脇の塀の隙間から、見ることが出来ます。 家康は、源家康という称号で、刻印を勾欄擬宝珠にかいて、今も残る歴史を刻んである場所を確認できるのです・・・兎に角、宇都宮にもこうしたパワースポットが残っており、また、今流行の御朱印をいただくことも出来るのです・・・

宇都宮市内では、結構沢山、さん付けで、呼ばれていたところが多く、他の例では、上野さん、足銀さん、お三夜さん等と、好まれてさん付けして、親しがられていたのである・・・・ 多分、宇都宮の繁華街が駅の中心でなく、かなり、離れたこの二荒山神社周辺にあるのは、このためかも知れないのである。 かっては、上野さん・・・これは呉服問屋から大きくなった上野デパートのことで、二荒さんの大きな鳥居の直ぐ右側にあり、誰もが、ここに休日ともなれば、買い出しに行き、この二荒さんを拝んでから、帰るのが、常であった。 しかし今は、バブル崩壊の結果、この上野さんは、消え去ってしまったのだ・・・・そして、今は、表参道という新しい名称の下に、新しいビルが建って、大きく変貌を遂げる中心地に、この二荒神社は、位置しているのである。★「二荒神社紹介」「宇都宮駅と餃子
ここに紹介するのは、二荒山神社の初詣で有り、沢山の人々で、溢れかえっていた。 天候にも連日恵まれて、温暖な日よりのせいか、皆、活発な姿で、初詣を楽しんでいるようすだった! ★ご参考: ★人気の「旅の神社仏閣一覧」 「新年・一月からのお祭り特集」 「県内博物館一覧集

二荒神社初詣 

ここの境内は、それ程広くないので、少し人が集まるともういっぱいになってしまう! 最もここは南側の階段から上り裏の坂から降りる一方通行をすればかなりの人が入っても大丈夫な所なのだ! 嘗てから比べると色々な旗が立っていて、往年をしのぐ豪華さが感じられた。

二荒さん境内にて二荒さん狛犬

 二荒さん神社は、昔のバンバ通りから見ると、今も、全くその姿を変えてはいない。 一方周辺のビル等は、この境内から見る限り、かなり、建て替えが進み、町の活性化が進められている。 現在は表参道というような名が付いて、昔を知るものにとっては、どこかとまどうくらいである。 数十年前になるが、ここの階段を下りた、真ん前には、小さな大谷石造りの交番があって、お巡りさんが、交通整理をやっていたのだ。 そこから、南に続く’バンバ仲店通り’は、今の浅草を思わせるような、賑わいがあったのであるが、これが取り壊されてしまい、殺風景な通りとなり、歴史が、一変してしまったのだった! はっきり言って、何処のお宮の周辺にも、そのような駄菓子が、売っていたり、飲み屋が有ったりするのが定番であるはず・・・・私は、思うが、あの大阪の町中にも、考えられないような、お不動さんが本当の中心にあって、沢山の人たちで賑わっている・・・・そうしたことを考えた時に、あの先人達から引き継がれた、大切な文化遺産を、一瞬にして、失ってしまったことは、大変、残念なことであったと思うのである。

二荒神社絵馬二荒神社の綺麗なお守り展示

多分そのような昔の’バンバ’が有れば、もっと多くの人が来てくれて、混雑する町であったろうと思うのは、私だけであろうか?

二荒神社案内

二荒さんの歴史が書いてあったので参考に供したい・・・・

二荒神社より望む大通り表参道の様子

上から見た、町の大通り方面の様子・・・

二荒神社主な祭典

主な祭典一覧

現在の二荒神社表参道にて

大通りから見る現在の二荒神社’表参道’・・・・これからも、若さ溢るる町であるように、祈りたい!

階段を上った所の境内入り口二荒さんの有名な階段

これが、階段を上り詰めたところで、右が登っていく階段の様子である。

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★二荒山神社とは: かつての下野国(現在の栃木県)のである二荒神に関係する神社である。

二荒山神社・二荒神社は、二荒神を祀って建立された神社、または二荒山神社を勧請して建立された神社である。延喜式によると、下野国河内郡には名神大社二荒山神社が鎮座していた。また六国史によると836年承和3年)に当時従五位上であった二荒神が正五位下を奉授(『続日本後紀』)しており、その後進階を重ね 869年(貞観11年)には正二位に達している(『日本三代実録』)。

かつて、「二荒」の語は「ニコウ」と音読され、「日光」の地名のもととなったが、それ以前は、『延喜式神名帳』の九条家本では「二荒山神社」に「フタラノ」と読みがながあてられていることなどから、「フタアラ」または「フタラ」と読まれていた、とされる[1]。また、奈良時代に勝道が男体山に登頂して「日光山」を開くより前の男体山の呼び名について・・・出典・・wikipedia

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