福島県五色沼から長野県志賀高原まで

福島県五色沼から長野県志賀高原までの旅

写真集

 概要: 今回、福島県五色沼から、紅葉を訪ねて、新潟経由で志賀高原までの道のりをたどった。

  一日だけ雨に降られたが比較的紅葉は素晴らしくその目的は達したようだ。 最初は、裏磐梯高原の紅葉を目指して行ったが、高揚時期が一致して、五色沼を全部探索路で回遊した。 結構、駆け足の旅とは成ったが、美しい紅葉だったのでそれほどに、疲れは感じさせられなかったのが幸いであった。

  特筆すべきは、五色沼よりも、もっと北に位置する曽原湖の存在だ。  ここは2年前にも訪れて、その燃えるような紅葉が目に焼き付いていたのだった。 本当にここは写真、いや絵画でさえも言い表されない美しい色の集合が見られる所なのである。 その上、静かであって人もあまり来ないので周辺散策をするのには、本当に打ってつけの所なのである。

  地元の日光も良いのだが、何せその人の数と駐車場さえ、見つけるのに一苦労することを考えれば、やはり、こちらの方に軍配が上がるのだろう。  タクシーの運転手さんが、今年はこれでも色が悪い方なんだよと言っていたが、色づきはそれほど悪くなく、この曽原湖のj府へ、行ってみると2年前の紅葉ほどでなくとも、まさに美しい景観を見せていたのだった・・・。

   五色沼は、車を例の売店周辺に置き、一周することにした。 なにせ人気の湖畔なので、駐車場が、なかなか開かないのが、この地の難点でもある。 このときは小学生たちの旅行とも相まって、かなりの人が来ていた。 みどろ沼、るり沼、等々名前があるが、どれにも美しい紅葉が重なっていて、綺麗であったが、この写真撮影で、難点は、名前でも裏と言われるように逆光の撮影に成ってしまうところなのだ。 まあ、それを意識してムーディーに撮ればそれまでだが、やや観光写真に成りがちなのは、仕方がないのだろう・・・・。

  五色沼から曽原湖へ・・・・先ほども述べたが、曽原湖は車でほんの十分程度の道のりであるが、ここまで来ると山々が近ずくせいか、寒い山の寒気がおりてくるせいか、紅葉なども真っ赤に紅葉していて五色沼の風景より、赤のきつい色の表情が見とれた。 どこを見ても写真、絵に成る風景である。 まとまった写真愛好者が、沢山群をなして写真を撮っていた。 最近こういう風景を沢山見るが、昔はこんなに写真を撮る人たちは居なかったと思う・・・・。この沼もそれほど大きくはないが、ペンション村が併設されているためか、まばらに人影があり、熊が出没する気配はそれほどないようだ。

  それにしても、美しい色だ。 錦秋の秋とはこのことなのかもしれない。 気味泥、赤と、そしてそれらが醸し出す何ともいえない混色の微妙な割合が、目に映ってくるのだった。 これ等は、ここに居る人たちしか見ることが出来ないのだ。 ある本によれば、今見ている風景の色は全く他の人も同じく見えているのではなく、その人の経験とか体の調子、目の反応などが総合して網膜に違って反応いるのだと言うことを思い出した・・・ 。それにしても美しい・・・・

では、その概要を見てみよう。 まず一番近い、沼近辺の 温泉と少し,西に行くと、大塩温泉、また、東に行けば、湯治湯で有名な、中ノ沢温泉沼尻温泉、そして、北西に山を下れば、野地温泉横向き温泉、もっと下れば土湯温泉と 続くのである。 どれをとっても名湯ばかりで、どこを選んで良いのか少し苦労する。

裏磐梯から田子倉湖へ・・・・

  昨日の晩から小雨が降っていた。 最初の予報では明日の天気は晴れと言うことで来たのだが、明日が気がかりになってきた。 朝起きてみるとやはり雨が降っていて遠くの山々はかすんでおり、あまり期待はできない天気だった。 このまま帰るわけにも行かず、ひょっとと思い、天気予報を見ると午後から晴れて来るという・・・特に新潟地域は、晴れの太陽マークだ。 これを信じて行くしかない!


  新潟に出るためには、高速で会津坂下(ばんげ)でおりて、柳津を経由して只見川をさかのぼって田子倉湖から新潟へと言うコースになるのだった。
周辺の紅葉は、色々な情報から折り紙付きであったので、あとは天候だけの心配であった。

・・・と言うわけで、小雨の中を、柳津へと向かった。 上の写真でもおわかりいただけると思うが、冴えない天候の柳津風景である。 ほんの小一時間程度でもう、柳津に着いた。 

  約20年前であろうか、ここをを訪れたときには、かなり田舎の感じがしたが、今回はなにかかなり開けたのか明るい雰囲気を醸し出していた。 これも2回目の旅で以前を承知したからなのでろう・・・この川にかかる国道の橋の色と周辺の紅葉、紅葉が綺麗であった。 早速、ここの古刹を訪ねなければならない。 それは、言うまでっもなく、福満虚空蔵尊だ。 (大同年間(元年806年)法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられる。 御本尊日本三所之一福満虚空蔵尊が祀られており堂は文政13年(1830)の再建である。 現在は臨済宗妙心寺に属している。)と記されている。 また、ここには、素晴らしい温泉がたくさんあって、多くの方が観光に来ているところなのである。 ご承知のように、正月若者が綱を伝わって、天井を目指して我先に取る新任の行事は、他ならぬ個々寺の風景なのである・・・さすがこの時期は、そうした若者の姿はなく、一般の観光ルートだけが見られるのであるが・・・、

  ここの感じは、決して、都内などの雰囲気があるわけではなく、また鬼怒川温泉のような、きらびやかさはないが、何か郷愁を感じさえる所なのである。 あえて言わせてもらえば、山形県の肘折温泉のような感じの所だ。 とは行ってもお宮がたくさん並んでおり見るところも多いのだ。 ここに紹介した写真に川が写っているが、これがかの有名な只見川でありライン下りも楽しめるようになっている大河だ。  今日は、その只見川を遡上するのである・・・・

 さて、ここからは、美しい紅葉のメッカである、只見川沿いに、田子倉ダムに向かうのである。
この街道筋には、古い温泉街があったが、今回は先を急いでいたので湯に浸かる暇はなかったが、かなりの名湯であるらしくマイクロバスも用意されていた。 きっと沢山の湯治客らが昔から泊まっていたのであろう。 只見駅に着くまでに、沼沢湖と言う標識があったが、今回は迂回しなかったが結構有名な沼であったのだ。 この沼周辺に先ほどの温泉が散見された。 早戸温泉沼沢温泉川口温泉小栗山温泉湯倉温泉大塩温泉滝沢温泉 等である。 本当にこれらの温泉は、小さなものではあるが、山間の川縁にあるのだ。 今度訪れるときには、温泉三昧で是非人風呂浴びてみたい・・・。

 さて、ここから只見湖をみて、いよいよ、新潟県へはいるのであるが、この紅葉がまともではなかった。 何か原始林に覆われた中で熊と一緒に紅葉を観察しているような思いだった。 まことに素晴らしい景観であったのだ。 この効用のお色は、低山で見る効用とは別もので、驚かされるばかりである・・・

 

  以上まで、見ていただけるとその紅葉のすばらしさは、お分かり頂けると思うが、とにかくこのように燃える色で周辺が彩られていたのであった。 そして、この旅は、新潟の入広瀬村入りから、高速を通って、新潟県妙高市へと、続くのである。
  
 閑話休題:私のこの連続した全ての写真が見られます。スライドショウ一覧のページから是非見て、皆様の旅行の参考にしてください。

  前日の天候不良とは売って変わって、妙高山は素晴らしい夜明けであった。 ただ朝方からガスが出てきた山裾を覆って来たのだった。 本当に天候が心配だった。 しかし高気圧が張り出してきているので、絶対自信があったのだ。 泊まったところのおばさまから、いま、苗名滝は、紅葉が最高だから是非いってはどうかとのすすめによって、訪ねることとした。

  言い忘れたが、泊まったところは、赤倉温泉であった 。妙高温泉は、かなり温泉質が異なっていて、全てを知るのは結構時間が書かあり、大変なのだ。
昔まだこの辺の高速道路ができていない頃、団体であったが、妙高高原の池ノ平温泉郷に宿泊したのだった。 独特の温泉の煙から出る臭いと、入湯したときに黒い火山灰状のふわふわした、砂みたいな浮遊物が浮いたりしずんだりしていて、私を驚かせたのだった。
  最初は、知らなかったが、JRで来た場合は駅妙高温泉駅というのが先ずあって、昔はそこが栄えたそうである。 しかしだんだん豪華になって、若者たちがスキーなどに来るようになり、ペンションなども増え続けて、今のように成ったと聞き及んでいる。 駅妙高温泉駅は、事実、駅前が寂しい佇まいになっていたのだ。 そのほか、赤倉温泉、新赤倉温泉、関温泉、燕温泉と本当に、この妙高山は、皆に温泉としての、恩恵を与えているところなのである。 偉大な妙高山を見ないわけには行かないだろう・・・

  燕温泉から苗名滝の紅葉を見て、笹ヶ峰を登り乙見湖をみて、下山した。 そして、これから、長野県に入り、師部温泉の、地獄谷を見て回り、志賀高原のジャイアントコースまでみて、帰途についたのである。 

  この、地獄谷について、記すと、まだ私が幼少の頃、神林温泉のバスがでていて、これを乗り継いで、この辺の散策と温泉に行ったことを思い出すが、何せ戦前戦中は、今みたいに若者が入る温泉ではないようなイメージがあったために人は、皆、湯治客が多かったのである。 最も生活がやっとだった頃には,今のようなレジャーは,とてもとても、ほど遠かったのであろう・・・・.

渋温泉

湯田中温泉

お猿の地獄谷温泉

上林温泉

山田温泉

高山温泉

地獄谷野猿公園とライブカメラ

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