小さな旅(茨城県)

忘れられない小さな旅

      皆様には多分その人にとっての「忘れられない旅」という物が有るはずです。  一度旅に出ると人とのふれあいの中で必ずや忘れられない旅が、非膣や二つ有るものです。 今回は、こうした旅路の中のほんの一端をふれさせていただきます。



それはもう20年以上前であったろうか・・・友人とともに茨城県の方へ写真とスケッチの旅にでかけたのです。  今思えばあのころは、会社が結構忙しい時で休みも臨出等で友達と出るのもままならない時期の話です。  今こうして書き留めてみるとそのころの思い出がはっきりと脳裏によみがえってくるのです。 あれはそう、茨城の筑波山の裏の方でした・・・確か吾国山と言うところに向かうちょっとした山袖にある村でした。  どういうわけか私はその周辺が好きで特に春には、何度となく訪れる機会が多かった場所なのでした。


      多分それは毎年栃木県と比べて温暖な地形を有する筑波山の山裾と言うこともあって、梅の花がこちらより半月程度は早く咲くのでした。 今もその梅の香りが、花をついて感じられるようです。 あのころは、宇都宮市内を通り抜けて鐺山を過ぎ、益子近辺から山道に入って初めて稲田と言うところへ出たのでした。 ここは鉄道路線もあってこの駅の名称を知らない方はないでしょう・・・・

      そしてここを少し東に移動すると、ここはもうあの有名な、商売繁盛の神様のある、笠間稲荷の傍らでしたが、あの時はその稲荷を訪れるのでなく初めての裏道を頼ったのでした。 何かここは静かな佇まいがあって梅の花も結構咲き乱れており、あの当時にはわら屋根の農家も点在していたのがきっと私たちを誘ったのでしょう・・・・。

茨城の茅葺屋根の家


      春は、その空気感が、やや赤紫に感じられており、その早春の中で写真やスケッチなどをすることは、今にしてみれば風流だったのかもしれません。 このへんも結構日によっては風が強いときもあって、車から出られないくらい強い風が吹き抜けた年ともあったのです。 当時は、絵の大家として向井純吉画伯が日本の農家を書いて回っている時で、それはそれは魅力的だった時代です。 今描こうとしても農家は、ほとんどなく藁屋根はといえば、現在のの岐阜県の、白川郷でも行かないと本物は見られなくなってしまいました。
      ともあれ、その道筋に一見のわら屋根の民家が小高い小さな丘の上にあったのです。 私は、それに何か魅力を感じて何回となく訪れたのでした。 道筋から上を見るとその農家と本家が続いており、またその奥に民家があるという風に日本では当たり前の構成の場所だったのですが、なにかその自然さが本当に美しく感じられたのです。



      そこでスケッチを採っていると、その畑のおじいちゃんが出てきて、野良作業を始めました。  私が下で描いているのを見る、かなり気にしているようだったので声をかけました。 「おじいちゃん!!ここは、結構良いところだね・・・梅も咲いているし農村のふんいきがいいね・・・暫くいるからね・・・と言うと、どちらから来たのかね・・・今日は風が強いからたいへんだろうよ!!まあがんばっておくれよ・・・」と言ってくれました。 と言うわけで、ゆっくりとスケッチを採って行くことが出来たのでした。 しばらくして、上から声がかかってきてたのです。 「わしはね、・・・戦争に行って本当に大変だったのだよ・・・今は平和だから良いけどねえ・・・本当に戦争は良くないよ皆がくるしむからね・・」と言う話が進みました。 上から、下りてきてお茶など飲もうよと声をかけられて一緒に団欒したことを思い出しました。



      今は、もうこの辺は、高速道路が出来てしまい、コンクリの橋桁が出来上がってしまい、かえって殺風景になってしまいましたが・・・・昔のその思いを残す所はすっかりと姿をかえてしまったのです。 またその家も、小高い丘をすっかりすてきなコンクリートで補強で固められしっかりとした邸宅が建っていました。 時代の流れとはこういう物なのだとしみじみ思い出すのでした・・・・
      この昔の思いでのわら屋根などきっと今は知る余地もありません・・・・。 時代の流れ・・本当に ’現在というものは過去の歴史の上にあるのだ’ としみじみ感じた今日この頃です。
 

     以上、茨城の美しい思い出を小さな旅として綴っておきました・・・・みなさまもこの近くに訪れたときには、こうした思い出後もあったということを偲んでみてください・・・・         以上終わり


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