粟野街道筋周辺紹介
★20200917 今朝は、粟野の田園風景と足尾に至る道の周辺を紹介してみましょう・・・現在は、粟野町は、鹿沼市に編入されっており、鹿沼市で検索されている土地柄です・・・彼岸花もまだですが、2日前、一箇所だけ3本だけ咲いておりました! 彼岸花の時期も日に日に近づいています・・・
20190911: 台風一過でなんとか青空が戻ってきましたが、今日までは暑いようです。 もう少し涼しくならないと花を見にゆく気にもなれないですね・・・彼岸花の開花もすぐですが、秋海棠が出流山で咲いています・・・・この時期は花が少ないので、色々見つけるのに苦労しますが、残暑を楽しんでみるのも良いでしょう・・・・「出流秋海棠」
★★20130928(まだ見れる彼岸花特集」 粟野と聞いたときに、国内では敦賀市と岐阜県にそのような場所名が記されており、その他は余り無いようである・・・・それにしてもこの街道筋は、前にも紹介しておいたが、東北道を東京方面から来ると10キロ県内でありその自然が満喫できる場所なのである。 最も近い場所がさつきで有名な鹿沼地区からすぐであるが、東北道では栃木市から北上してゆくこともできる。 名前が示しているように今では余り見かけ無い粟、コメと一緒に炊いたりしてこの粟単独で食する文化はなくなってしまっている。 その粟がきっと絶頂期に個の周辺は粟の野原だったのだろう・・・・そう思うとなかなか捨てがたい美しい名称後と言わざるをえないのである。 最新情報 「花旅のブログ初めました!」栃木県内の佐野市から北に登ってたどれば、先ず佐野市、東武佐野線を辿り唐沢神社にいたり、田沼、葛生、そして粟野というようなコースになるのである。「近くのシュウカイドウ見逃しなく!」 「この時期の那須高原は見頃となります!」 古峰ヶ原神社紅葉2010はここから ☆☆☆「早春の花を楽しむ」 最新情報 粟野周辺彼岸花開花情報2011 ★参考「そば処一覧」「楽天そばランキング」
粟の街道筋自体は、西に伸びておりそこからあの鉱毒事件で有名になった足尾の地に至るのである。かなり蛇行の続く道を経てやっとの思いで足尾につくのであるが、付いた途端辺鄙な足尾の街が現れるのでちょっと驚くのである・・・・しかし今ではこの足尾の街も観光で宣伝しておりまちおこしも進みかなり変貌をしてきているのである・・・・上の写真は粟野の手前の粕尾という場所の常楽寺の美しいそばと彼岸花の群落地なのである・・・・石畳の上に作られた鐘楼はこんな片田舎に本当に豪華なものであり、当時の栄華が偲ばれるのである。
この粟の街道筋を常楽寺のすぐ上から左折する街道筋があるがこれが栃木に向かう近道なのである。 大越路トンネルと呼ばれる道であり今ではすっかりトンネルが整備されており峠といった感じは殆どなくなってしまっている。 そこから少し足を伸ばせば、星野の里に至るわけである。 この近辺は古代人が住み着いていたと言われる歴史的な街道筋であり早春になうと多くの観光客で忙しくなるのであるが、春は山野草が、たくさんなるからなのである・・・・
最近では花農場あわのというような農村レストランもここに」出来ており、多くの人がその花畑とハーブを楽しみに出かける人も多いようである・・・・
そして、ここで忘れてはならないのが、まだまだ自然が多いので9月中旬から下旬にかけて彼岸花がいたるところで咲き出すのである・・・・
このようにそれほどの高い山はないにしてもその山の裾野を塗って作られた農道が蛇行して作る自然美は、なんといってもいつでも楽しめる場所と言わなければならないのである。
常楽寺の彼岸花はこのようにいつでも皆を暖かく迎えてくれるのである!
先に説明した星野の里方面では県産のプラスターを取っているところから山が崩されており丁度埼玉県の秩父と同じような状態になっている。 そうした変な景観がここでもたくさん見られるのでこれらを楽しむ人もいるのである・・・・そしてそのすぐ蕎麦には出流山満願寺があって園周辺地は蕎麦屋が乱立する一大そば屋楽園となっているのである・・・・
こうした美しい野原の間には、異様な岩の山があって皆をおどろかすのである!
ここの鉱山はもう掘り出しは終わっているようで、いつ訪れてもこのように静かな様相を示しているが、これら洞窟はそのままの状態であり、異様なまでの風景を露呈しているのである・・・・
有名な出流山満願寺である・・・・こんなにすばらしい万願寺が出が腹の一角にあり多くの善男善女が集うのである・・・・
それにしてもすごい景観とでも言わざるをえないこの風景をしばし鑑賞してみてください・・・ここは万願寺から佐野方面の仙波そばの有名な地区に抜ける場所から見た風景です・・・・