大内宿

大内宿 会津

 豪雪の会津地方にある「大内宿」、多分知らない人は、今では多分いないであろう・・・・ というのも、大内宿には民家の集まる集落は、蔵のある町並みなどと同じで多くの観光客が押し寄せてくる場所となっているからなのです。 ここでは、大内宿について細かく写真付きで紹介していきましょう・・・参考:「ブリッティッシヒルズの花咲く春」「大内塾とBritish Hills]

大内宿に行く為には、最近東北道の那須地域からトンネル開通によりアクセスが良くなった・・・・その為甲子温泉から下郷まで行き、「観音沼」などにゆくのも簡単に旅ができるようになったのである!昔は、会津地方に旅をして、湯野上温泉とか芦の牧温泉等に立ち寄ると、決まってこの地、「大内宿」と「塔のへつり」という観光名所に案内されたものなのです。 今でも全く同じ情景が繰り返されているのですが、国からの町並み復活のかけ声によって、この大内宿は、すっかり昔風の豊かな雰囲気を取り戻したと言っていいのかも知れません。 長野県で言えば、馬篭峠近辺の美しい情緒が、ここ会津にもあるのです。  この大内宿は、真っ直ぐな道に両側に旧民家が密集するまるで時代劇に出てくる町並みが現出するのです・・・・むろん車では入れないようになっているのですが、この一軒一軒に立ち寄る楽しみは、それはそれは楽しいのです。 そしてちょっと分からないかも知れませんが、家の前には、清水が湧き出た水の流れがあって、サイダージュース類がそこで冷やされて販売されているのです。この文化は、昔戦時中以前はこのスタイルが当然でした。 しかし今ではこのような生活様式は、なかなか見ることができないのが現状です。  きっとここだけ、大内宿の場所だけなのでしょう・・・多分この風景は、嘗ての山国でのスイカなどを冷やして食べた思い出が、彷彿とする、素晴らしい歴史的な名所なのでしょう・・・そしてこのように簡単に高台に上り詰めて、三仏堂をお詣りして、そこからこうした美しい俯瞰風景が堪能出来ることにあるのです・・・・その他、情報検索は、こちらから!「特選 情報検索窓へ

 

会津大内宿


  
   上野写真は、大内宿の山側から見た風景と大内宿ノ笑屋根の状況を洗っわしています・・・私の経験からは、このような上から昔の歴史遺産と古風な家の風景を簡単に高台から見る事が出来る場所は、長野県の超有名な妻籠宿に行ったときも無かったのでした!

・・・・勿論、傍に切り立った山を登ればあるのですが・・・・そして、ただ一つ、やっと見つけた場所が、「白川郷の全貌出来る場所」を、やっと3回目の旅で見つけて驚いたことぐらいでした・・・・如何に、この地の 「大内宿」 が、素晴らしく、しかも関東領域にあることを、皆様も是非知っておいて頂きたいと思うのです!・・・・しかも、温泉地が二つもあると言うこともです・・・・一寸想像できないでしょう・・・・また、ここでついでに紹介しておきますが、「会津線の湯の上温泉駅」は、今でもかやぶき屋根で出来ており、冬期には、駅構内に「いろり」があるのですから、その情緒は、格別なのです・・・・因みに、この駅舎は、街道筋の自動車道から、見ることが出来ます・・・・


 

★では、この辺で大内宿の歴史をたどって見ましょう。 まず由来からです・・・

平清盛全盛期の治承四年(1180 年)、 後白河天皇の第二皇子である高倉 宮以仁王は、 源賴政のすすめで諸国に
いる源氏と延暦寺の反平家勢をあてに挙兵をしましたが、この計画は予相より 早く平家側に発覚してしまい、 、同年六月二十四
日、京部宇治川で合戦となりました。  源賴政は討ら死にし、高倉宮は行方不明。 また、 流れ矢にあたつて戦死したとも言 われ、 伝説はここから始まりました。  伝承遺跡などと共に村人に深く根付い て語り伝えられています。
一 伝説によれば宇治川で敗れた宮は、 奈良路から近江(滋賀県) 東海道・.甲斐 (山梨県、).信濃へ長野県・上州沼田へ群 馬県(沼田市) 尾瀨(群馬県利根郡). 枝岐?伊南・大内・只見を通つて越後(新潟県)に入り、小川荘中山村(東蒲原 郡上川村)で死去されたこ とになつてい ます。 .宮はニ十人ほどの供を連れて、越 後国に住む小国右馬頭賴之を頼りに落ちのびてきて、 大内に立ら寄り、この里 が都の風情に良く似ている所から、 それ まで山本村と呼ばれていたものを大内 村と改められました。 閉じもとのパンフレットで紹介されています。

★宿場町の形成期

大内は、江戸時代に 下野街道の一宿 場として栄え、明治以降、交通路の変化 により開発を免れ、 昔の面影を今(:とど
めています" この街道は、すでに嫌倉の時代から会 津と 間東を結ぶ街道としてかなりの往 来がありました。しかし、街道の整備は、 きとどいていなかったよぅです。 各地 の街道の整備に力を入れたのは我国の時代からで、全国統一の一環として行わ れました。 德川幕府がこれを次いで、 五街 道の幹線やその付属諸街道に対して支 線の意味で、脇往還、 脇道などとも呼ば
れていました。

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★ 観光でお出かけになるときのご注意など! 

会津大内宿並び 大内宿パンフレットより

下野街道は、一つの脇街 道であって 幹線に比べると小規模であ り、街道も宿駅も不備であったよぅです。また、大内は若松へは?四里半(16.5km)田島へは五里(二十km)当時の一 日行程は 八から十里であり、大内宿は 中宿にあたり、本街道の間宿にあたり昼 食のための休憩の 宿場でありました。  大内宿が形成されたのは、同じ街道 筋にある川島宿か承応三年 (一六五四 年)にできたことから考え、ほぼこれと同 じ頃と考えられています。江戸時代の街 道整備は、德川幕府の支配体制の確立 と間連しており、こ頃すでに、 五街道 を初め?街道なども整備されました。大内宿周辺地域では、行楽シーズン と もなるとアクセス道路である国道118 号と121号において激しい渋滞が発生 しており、 旅行でお出でいただく皆様に 多大なご迷惑をお掛けしております。 つきましては、混雑 が予想される日程 をずらして、お出でいただくことをお勧 めします。

 

★混雑が激しい曰

5月ゴールデンウィーク、8月お盆休み期間、秋の紅葉シーズンの土曜日曜など
なお、お車で お出での際には、会津美 里町方面から“大内宿こぶしライン(県 道131号下郷会津本郷線) “のご利用を
お勧めいたします。
また、時間にゆとりを持ってお越しく ださいますよう、 お願しヽ申し上げます。


 この大内宿、昔は、適当な場所に車を止めて周辺探索を始めたのですが、今では、入り口に大きな駐車場が出来ており、そこに車を止めてから、歩きながら村並を楽しむというような観光を楽しむわけです。 ほぼ、平地なので芦などの普住中田型でも簡単に訪れることが出来る場所なのです。 現在では、この地域のコンクリートで道が出来ていましたが、今では町の景観復活ということで土で出来ており、時折道路面を杓子で水をまいているといった、生活風習が今でも見られました・・・・ところで、会津と言っただけで、皆様は雪の会津を思い起こすことでしょう・・・・その通りなのです。 今回、いや前回から、白河市の甲子温泉郷からトンネルが開通して、夢のように近くなったこの地域、冬はどのようなのでしょうか・・・・一寸見たくなりませんか?

 「会津の冬景色」 「那須茶臼岳と冬景色」 「白河市から見る会津の山々

 

大内宿にて

 大内宿入り口周辺は、美しい山の中にあるという雰囲気がここでは十分感じられるでしょう・・・・馬篭の法の大きな深い山ではなく、小さな山々が連なっていると行った風景であり、この奥には豪雪の新潟県が連なっているのです。 ところでこの会津大内宿に行くのに最も便利な道はどこなのでしょうか! 実は、昔は、大変な道のりも今ではいろいろな場所からゆくことができるようになりました。しかし最も簡単で道の良い行き方は、最近出来た白河から下郷へと通過する方法です。トンネルが多いので雪なども遮蔽できるので素晴らしい道です。これは那須野崎の道から入るのです。 簡単にこの場所に行くための湯野上温泉口に出ることができるのです・・・途中いろいろな温泉があるのでこれまた楽しみなのです。 

会津の大内宿の魅力はなんといってもその茅葺屋根の町並みでしょう・・・・江戸時代の建物をそのまま表現しているのですから驚かされます。 白川郷が素晴らしい場所ですがここはそのような建物が密集して並んでいるのです。 こうおいう場所は珍しいでしょう・・・ここは、江戸時代の参勤交代の道であり宿場町。 下野道と呼ばれている道筋にあります。 いろいろな店がありますが、叶屋では、ちりめん細工の小物の飾り物が有名です。 概して蕎麦屋が多いのですが、 山本屋の手打ちそば、そして宿泊できる店もあります。 たとへば、山形や、本家扇家などです。 その他南仙院本家では、天ぷらまんじゅうなどが有名です。 また本家玉屋では、きんつばが有名!いろいろあるのでよく見て歩きましょう・・・

 

大内宿町並み

 現在、こうした民家が、ここでは、45軒以上集落しており、ほぼその全部が何らかの商いをやっているのです! ちょっと飛騨高山の名店街とは又異なった風情が感じられるのです。 飛騨高山の集落も凄いのですが、ここは一カ所に集中して見て歩けると言うことで、一度にまとまって見ることが出来るのが特徴でしょう・・・・

 

 昔懐かしい両脇に水の流れがあって、これを生活の一部として利用しています・・・

色々な特徴ある店が沢山並んでいるので、皆見て歩くと、かなりの時間がかかるのです。

 

大内宿にて

 今回ここを訪れたのが、時間的には午後になってしまっていたので、西日を避けて各店がすだれをたらしていたのです・・・・これも生活風習なのでしょう・・・

大内宿風景

まるで時代劇にでも出てきそうな風景がそこには残っているのです・・・・山の上から見ると人通りはないようですが、下に降りてくると、結構バスによる観光客がまとまって記念写真などを撮っている風景に出会いました・・・・ここはお年寄りから若人まで、多分誰が訪れても楽しい場所と思われました・・・・

大内宿町並み

会津大内宿

 以上、会津にある大内宿の紹介でした・・・・ここを訪れるときには、注意が必要です! それは、混雑です・・・・5月ゴルデンウィーク、8月のお盆休み、そして、秋の紅葉シーズンの土日です。 この時期は避けた方がよいでしょう! 今回私は、那須から、289号線で(新しくできたトンネル道路)で、下郷に入り121号線で131号を目指したのです。 平日は殆ど混雑はなかったのですが、シーズン中は、118号近辺は、混雑が多いので注意致しましょう!

・ 近くの名所、観光地など: 那須アウトレット観音沼秋那須フラワーワールド那須茶臼岳那須八幡つつじ|等々 | 曾原湖 |アルプスを望む!アルプスとわさび園

その他の寄り道など!

この周辺は、下郷地域と呼ばれており、白河地域とトンネルで繋がりとても交通の便が良くなっているのです。 

★ 観音沼森林公園:  標高1640メートルの観音山の麓にあるこの沼は、非常に神秘的であり、静かな沼なのです。特に春と秋は、色とりどりに周辺が色付いてきて、探索にはもってこいなのです。 夏には、トレッキングという感じで周辺を探索することも良いのでしょう・・・・この観音沼の一帯は、野鳥の宝庫であり、白樺、特別な街中では見られない花々が咲きそろいます・・・・沼の周辺には、探索ルートが沢山設けられているのも特徴です! 多分下郷と聞けば観音沼と小田へは帰ってくるのでしょう! ここの自然は、私が折り紙を付けて推奨いたします!

その他の寄り道など!

              もうすぐ秋です・・・・この周辺の美しい穴場情報をお知らせしておきましょう・・・・ 

 ★ 簑沢の曼珠沙華:  簑沢は、那須地域にある美しい片田舎なのです。 ちょっと聞き慣れない名称ですが、歴史上の人物義経の歩いた軌跡の残る脇道に、その彼岸花が咲き乱れるのです。 せっかく那須まで北ならばこれを見逃すことはないのです・・・ただ、この時期が大体2週間から3週間なのでその時期に来たときは、お忘れ無く訪れ鵜事を推奨します・・・・最近では那須の温泉旅行の帰りがけにこの地を含めてバスツアーを組んでいるコースを沢山見ました・・・それ程有名になってきたのです。  私の紹介ページを見れば、ほぼそのおおよその場所はお分かりいただけると思うのですが、那須アウトレットからならば、ちょっと北の白河インター手前の那須高原サービスエリアからスマートインターを降りて、黒田原役場を目指しましょう・・・そこには、案内地図がありますので、道を間違うことはないでしょう! そして、この地で花の女王法も聞けるので、是非訪ねてみるのも良いでしょう・・・本当に短い期間ですが、この時期に折良く訪れたならば、再呼応の旅の旅情を満喫できるのです! 最も、首都圏の方々ならば、こちらの簑沢が、不都合であれば、「巾着田」という手もありますね!・・・・ここも関東一の曼珠沙華の名所ですから・・・・

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